浅い知識で【シン・エヴァンゲリオン】感想・考察(ネタバレあり)

今回は前回とは違い、ネタバレありでの感想を書いていきます。

前回のネタバレなし感想はこちら
浅い知識で【シン・エヴァンゲリオン】感想(ネタバレなし)(大絶賛)

エヴァンゲリオンについて、詳しいわけではないのでそこはご了承ください

シン・エヴァンゲリオンについて

シン・エヴァンゲリオンはエヴァンゲリオンの新劇場版4作品目であり、完結編です。

1作品前のヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qから、8年、コロナもあり、上映が延期になったりもしたが、やっと公開になりました。

エヴァンゲリオン 公式サイト

自分とエヴァンゲリオン

まず、自分のエヴァンゲリオン歴を書こうと思います。
恥ずかしながら、リアルタイムで、エヴァンゲリオンを見るのは今回が初めてです。

「新世紀エヴァンゲリオン」シリーズは自分が小さいころの再放送でのおぼろげながら記憶があるだけです。新劇場版もテレビでの放送で見たのが初めてです。

エヴァにはまったのは、このコロナ期間で暇を持て余していた時でした。「シン・エヴァンゲリオン」を見に行こうと思い、新劇場版を見直し始めたのがきっかけでした。色々なところで配信がされていたのでそれも幸いしました。

その後、他の人の考察を見たり、漫画版を読んでみたり、このエヴァというコンテンツを約1年間、自分らしく楽しめたと思います。

感想(ネタバレあり)

まだ、1度しか見ていないので、あやふやな部分もあるのはご了承ください。

シン・エヴァは〇〇離れを描いていると感じました。シンジの親離れであり、ゲンドウのユイ離れ、見ている人にとってはエヴァ離れ、虚構離れです。ちゃんと現実と向き合い、意思を持って、離れることで成長とする、そんなすごく現実的な話だったと思いました。(実際、最後に実写になるし)

そのために何が必要か

見ている人たちがエヴァから離れてもらうためには何が必要なのか、というのは庵野さんにとって、1つの課題だったのではないかと思いました。見ている人たちが離れることで、庵野さんもエヴァから離れることができる考えたのではないだろうか。

仕掛けとしては2つあったと思います。1つ目は完結させるということ。2つ目はこのエヴァンゲリオンがアニメであることを見ている人たちに自覚させること。

1つ目の完結させるという部分において、まず、キャラクターの出演、掘り下げ、終わりを描くことで、それぞれのキャラクターの送り出しをしていきました。シンジ、レイ、アスカなどの主要キャラだけでなく、トウジやケンイチまでも、出演させ、どうやって生きているかを描いていました。そして、それぞれのキャラクターがどこに収まるのかも、分かりやすく見せることで、その後の想像や妄想の余地をなくしたのだと思います。(わざわざ、10号機から12号機まで出してきたのも、13号機までのエヴァを埋めるためでは?)

また、全体的に分かりやすいような演出がされていました。見た人が曲がった受け取り方や、考察の余地がないように、説明がいつもより多いように感じましたし、それぞれの心情は吐露という形で、分かりやすくなっていました。
そして、このエヴァという世界を実写で終わらせることにより、3次元へと開いた世界にし、2次元のエヴァはもうない閉じた世界にしました。

2つ目として、エヴァがアニメであることを自覚させるためのメタ的な演出がたくさん出てきました。特撮のセットであったり、新世紀エヴァンゲリオンのアニメを流したり、最後には、アニメの作業工程を逆に戻っていきます。これを見ている人は、このアニメが作り物で、エヴァはこの世界に存在しないことを自覚せざるを得ないです。

庵野さんは、エヴァという自分の想像だったものを創造したことで、ある意味、満足だったと思います。それなのに、考察や解釈、批判など、他の人たちの妄想が、庵野さんの想像としてのエヴァを侵食していったのかもしれないですね。
エヴァから離れられない呪縛にかかった自分(庵野さん)とみている人達をエヴァから離し、そして、庵野さん中心のそれぞれの心の中にあるエヴァ(エヴァンゲリオンイマジナリー)も1人1人切り離していったのだと感じました。(量産型エヴァが人間になっていく描写はそのメタファーだと感じた)
これで自分たちは、庵野さんによりかかったエヴァから卒業して、自分の現実を、自分のエヴァを作り出していけるのではないだろうか

新しいエヴァンゲリオン

シン・エヴァはちゃんと新しいエヴァだと感じました。

上から吊り下げた戦艦を使った盾、戦艦ミサイル(無人在来線爆弾みたいな?)、戦艦同士の戦闘など、ヴンダーという戦艦であり、方舟を使った見せ場はすごく多かったです。
エヴァも、空中戦が多く、これまでのエヴァとは違う形状もエヴァも多数出てきました。(それらも庵野さんのエヴァとして供養されてた)

特に中盤、13号機を止めるために、2号機と8号機が落ちていきながらの武器換装は見ていてかっこよかったですね。

それぞれのキャラクター

序盤のアヤナミの成長は、人の生活の営みと、人の温かさで進んでいき、この時のアヤナミはどの綾波より、表情が豊かだったと思います。そして、このアヤナミは一番多く、人と命にかかわることができました。

シンジとアスカは似た者同士でした。どちらも孤独で、褒められることを求め、そんな似た者同士だから、惹かれあったのだと思います。しかし、これでは傷をなめあって、依存する関係にしかなりませんでした。アスカが求めていたのは自分を認めてくれる存在でした。そういう意味ではケンスケのところに収まったのはすごく自然なことだなと感じました。

ミサトにとって、シンジは息子同然だったのでしょう。だからこそ、「破」で背中を押して失敗したことを自分の後悔とし、次は何もさせずに守ろうとしました。でも、そんな親から子は離れていきます。その成長は親としてすごく嬉しいことでしょう。あの息子2人の写真はある種の誇りだと思います。

カヲルはシンジでした。カヲルは自分自身であるシンジの幸せのために行動をしました。でも、それは間違っていました。カヲルがしたことはシンジのためにはならなかったし、カヲル自身が満たされませんでした。カヲルはカヲル自身のために生きることが必要でした。カジさんと一緒に老後の話をしながら、歩いていきます。そこには本当の意味で、気楽になったカヲルがいるのではないでしょうか。

ゲンドウは、ユイから離れることができませんでした。お別れを言うことができませんでした。また、ユイが死んだときにシンジとのつながりが何なのかが分からなくなったのではないでしょうか。シンジと向き合うことでやっと、シンジが「自分とユイの子供」だと自覚できます。最後にはユイと一緒になれ、ゲンドウの願いも叶ったのかもしれないですね。

シンジは父親との殴り合いではなく、お互いのことを理解しようと対話をします。父親の背景、意思を聞き、それでも自分の意志で違う道を行くシンジ。親から離れることができたシンジにゲンドウが「成長したな」(大人になったな)というシーンはこの映画の中で一番好きなシーンです。

虚構と現実

このシン・エヴァは虚構ならでは痛さを持っていると思います。「アナザーインパクト」や「アディショナルインパクト」とかいかにも2次創作にありそうなものから、シンクロ率∞とかは少し笑ってしまいました。ニアサードインパクトを「ニアサー」って略すのもオタクっぽいと感じました。(それも何回も言う)

オタクたちは虚構と現実をごちゃまぜにしてしまうことがあります。でも、人は現実に生きています。自分たちにはゲンドウのように、ユイという虚構を追い続けることではなく、シンジのようにこの現実と向き合うことをさせたかったのではないかと思いました。

そういう意味では自分はまだ、虚構から、アニメから、エヴァから、卒業できていないと感じました。

最後に

今回はシン・エヴァンゲリオンの感想を書いていきました。
自分の中ではまた、大事な作品が増えました。

暇があったら、また見に行こうと思います。

それでは

追記:
シン・エヴァ公開後、YouTubeに新しい考察動画がまだ上がっていて、「みんな、卒業できなかったんだ」と留年する仲間が増えた感覚でした(笑)。

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